(小4,5,6年)自主学習や自主勉強のネタとノートの書き方|小学生まなび研究会

【社会】「武将」真田幸村 について調べてみよう

松左衛門先生
松左衛門まつざえもん
先生

戦国時代せんごくじだいで好きな武将ぶしょうはいますか?

小学生のゆーちゃん
小学生の
ゆーちゃん

いっぱいいて、まよいます!

松左衛門先生
松左衛門まつざえもん
先生

今回はNHK大河たいがドラマでも主人公になった真田幸村さなだゆきむらについてまとめました。

自主学習ノートの書き方(えんぴつで書いたれい)

「武将」真田幸村 ついての自主学習ノート

自主学習ノートの書き方(れい)

「武将」真田幸村について

真田幸村とは、豊臣方の武将として大坂夏おおさかなつじんという合戦にて徳川家康の本陣まで攻め込み、 家康をぎりぎりまで追い込んだ勇敢ゆうかんな武将として有名です。



生まれ

争いや合戦が続いた 戦国時代信濃しなのの国(現在の長野県)に生まれる。
武田信玄たけだしんげんで有名な武田家の足軽大将あしがるたいしょう真田昌幸さなだまさゆきの次男として誕生たんじょう

1567年に生まれ、1615年(49歳)で亡くなる
(安土桃山時代から江戸時代初期)

名前について

幼少期の名前は、弁丸べんまる
その後、大人になってからは、真田信繁さなだ のぶしげとして名乗る。
「真田幸村」と呼ばれるようになったのは、彼の死後何十年もあとに、 戦国時代の武将について記された物語の中で使われるようになってから。



主な活躍かつやく

1500年代後半頃から豊臣秀吉とよとみひでよしつかえるようになり、多くのいくさ活躍かつやくする。
豊臣秀吉が死後も、いくさでは豊臣側として戦う。
特に、秀吉が亡き後に台頭たいとうしてきた徳川家康とくがわいえやすと豊臣側の合戦にて大きな成果が有名。

せきはらの戦い(1600年)では、少ない軍勢ぐんぜいで徳川軍に大きな打撃だげきを与えた。

●大阪夏の陣(1615年)の戦いでは、圧倒的あっとうてき大群たいぐんの徳川家康をあと一歩のところまで追い込んだが戦死する。 その後、徳川家康やその周りの武将は真田幸村を賞賛しょうさんし、「幸村は日本一のつわもの」とたたえたそうです。