【社会】「武将」織田信長について調べてみよう
戦国時代の武将の中で人気の高い、 織田信長についてまとめました。
どんな人なの?
天下統一にあと一歩まで迫った武将です。
自主学習ノートの書き方(えんぴつで書いた例)
自主学習ノートの書き方(例)
「武将」織田信長について
織田信長は、「桶狭間の戦い」で今川義元を破り、破竹の勢いで領土を広げていきます。天下統一まであと一歩のところまで迫るものの、家臣である明智光秀に謀反を起こされて自害をします。
生まれ
尾張の国(現在の愛知県)に生まれる。
戦国大名である織田信秀の子。
1534年に生まれ、1582年(49歳)で亡くなる
(戦国時代から安土桃山時代)
若いころの信長
若いころの信長は、当時としては変わった格好をしていました。
着物は半分脱ぎ片腕をだし、袴は短くしてはき、腰にはヒョウタンをぶら下げていました。また髪は頭の上で束ねていました。
そのため、「尾張の大ばか者(大うつけ)」と言われていました。
主な活躍
父・信秀の死後、後継ぎ争いに勝利をして織田家の当主となります。
1560年、桶狭間の戦いで、今川義元に勝利します。
今川義元は2万5千の兵に対し、信長はわずか2千の兵で奇襲をかけ義元を討ち取り勢力を拡大しました。
1568年には京都に行き、足利義昭を室町幕府の将軍にし、実質的に実権をにぎります。その後、義昭を京都から追放し、室町幕府を滅ぼすとともに、天下を統一するため動き出します。
1575年、長篠の戦いで武田勝頼に勝利します。
当時最強と言われた武田軍の騎馬隊を3000挺ともいわれる最新の兵器「鉄砲」を用いて撃破します。
その後、滋賀県の琵琶湖の近くに、安土城を築きます。安土城は豪華な作りで、織田信長の権力の象徴となりました。
1582年、家臣の明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害します。