(小4,5,6年)自主学習や自主勉強のネタとノートの書き方|小学生まなび研究会

【社会】「武将」徳川家康について調べてみよう

松左衛門先生
松左衛門まつざえもん
先生

天皇陛下てんのうへいかのお住まいになっている皇居こうきょは、 かつて江戸城という大きな城がありました。 今回は、この城のぬし徳川家康とくがわいえやすについて調べました。

小学生のゆーちゃん
小学生の
ゆーちゃん

皇居こうきょの中はどうなってるんだろう?

松左衛門先生
松左衛門まつざえもん
先生

私も分かりません。

自主学習ノートの書き方(えんぴつで書いたれい)

「武将」徳川家康についての自主学習ノート

自主学習ノートの書き方(れい)

「武将」徳川家康について

徳川家康は、豊臣氏とよとみほろぼして1603年(慶長けいちょう8年)に江戸幕府ばくふをひらき、初代将軍しょだいしょうぐんとなりました。 その後、江戸時代は約260年続きます。


生まれ

三河みかわ(現在の愛知県)に生まれる。
戦国武将である松平広忠まつだいらひろただの子

1542年に生まれ、1616年(75歳)で亡くなる
(戦国時代から江戸時代初期)

子どものころの家康

家康の父、松平広忠が支配していた地域は東に今川いまがわ氏、西に織田おだ氏といった当時、 力のある大名にはさまれていました。そのため、家康は人質ひとじちとして、はじめは今川氏で、のちに織田氏のもとで幼少期ようしょうきごしました。


名古屋城


主な出来事できごと

1560年、 桶狭間おけはざまの戦いにて織田信長おだのぶなが今川義元いまがわよしもとに勝利します。これにより織田家と今川家のあらそいが終わり、家康は人質ひとじちから解放かいほうされて、自由の身になります。 その後、家康は織田信長の影響下えいきょうかの中で三河みかわの地域を支配するようになります。

1600年、せきはらの戦いで石田三成いしだみつなりがひきいる西軍に勝利しました。1603年、家康は征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任命され、現在の東京に江戸幕府をひらき、長く続いた戦国時代が終わることになります。

徳川家康のエピソード

家康は健康マニアだったと言われています。戦国時代には、家康も戦った武田信玄たけだしんげんなど多くの武将がやまいでなくなりました。 しかし、家康はこの時代にはめずらしく、75歳まで生きることができました。

秘密ひみつは2つあります。
ひとつは、食べものに気を使っていたことです。将軍であるにも関わらず、麦飯むぎめしや野菜、魚などを好んで食べていました。

ふたつめは、晩年ばんねんまで体をきたえていたことです。鷹狩たかがり乗馬じょうばなどによく行っていました。

徳川家 家紋