【社会】「武将」豊臣秀吉について調べてみよう
今回紹介するのは、戦国時代にとても出世をした人物です。 生まれは、農民の子ですが、天下統一を成し遂げるまでになりました。
私も出世したい!目標は大統領!!
ん? 日本の代表は首相ですよ。
自主学習ノートの書き方(えんぴつで書いた例)
自主学習ノートの書き方(例)
「武将」豊臣秀吉について
豊臣秀吉は、農民(百姓)の家に生まれ、その後、 武士の道を志します。下の身分からだんだんと活躍をし、ついには天下を統一するまでになりました。
豊臣秀吉の像
生まれ
尾張(現在の愛知県)に生まれる。
農民である木下弥右衛門の子
1537年に生まれ、1598年(62歳)で亡くなる
(戦国時代から安土桃山時代)
子どものころの秀吉
幼少期は、顔だちなどから「猿」と呼ばれていた。
実の父は秀吉が7歳の時に亡くなり、母は再婚をする。
その後、武士になるため、14歳で家を出て、遠江国の城主であった松平之綱に仕え、その後、織田信長に仕える。ちなみに信長からは、「はげねずみ」と呼ばれていたそうです。
豊臣秀吉ゆかりの大阪城
主な出来事
織田信長のもとで、多くの戦いで活躍し、だんだんと頭角を現してくる。
1566年、美濃国の斎藤家との戦いでは、一夜にして城を築き上げ、
1568年、「観音寺城の戦い」では、夜襲にて敵を倒すなど、戦で勝利を重ねます。
1582年、明智光秀の謀反により、織田信長は自害します。
その後、 秀吉は、「山崎の戦い」で、織田信長を裏切った明智光秀を倒し、信長の後継者となり、天下統一をめざします。
その後秀吉は、四国を統一していた長宗我部元親、九州の島津家を降伏させます。
そして、関東や東北にも支配を広げ、天下統一を成し遂げることになります。
刀狩令
1588年、秀吉は、刀狩令を出します。
これにより全国の農民から刀や槍などの武器を取り上げました。日本各地で起こっていた村同士の争い(一揆)を防ぐことが目的でした。
豊臣秀吉の家紋