(小4,5,6年)自主学習や自主勉強のネタとノートの書き方|小学生まなび研究会

【社会】「武将」柴田勝家しばたかついえについて調べてみよう

松左衛門先生
松左衛門まつざえもん
先生

戦国時代を生きくためには、 どの国の大将たいしょうも「頭がよくて勇敢ゆうかん部下ぶか」を必要としていました。 今回は、天下統一をめざした織田信長の戦いを支えた武将ぶしょうを紹介します。

小学生のゆーちゃん
小学生の
ゆーちゃん

私は宿題をしてくれる部下がしいです。

松左衛門先生
松左衛門まつざえもん
先生

自分でしなさい。

自主学習ノートの書き方(えんぴつで書いたれい)

柴田勝家(しばたかついえ)についての自主学習ノート

自主学習ノートの書き方(れい)

「武将」柴田勝家について

柴田勝家しばたかついえは、織田信秀おだのぶひで信勝のぶかつ信長のぶなが秀信ひでのぶの順に代々の織田家につかえた武将です。いくさでは、最も危険な先鋒せんぽうまかされることが多く、 とても強い武将でした。

多くの戦いに参戦さんせんし、勇敢ゆうかん勇猛ゆうもうな武将であったため「鬼柴田おにしばた」と呼ばれることもあった。


柴田家 家紋

生まれ

尾張おわり(愛知県)に生まれる。
織田家重臣じゅうしん柴田勝義しばた かつよしの子

1522年に生まれ、1583年で亡くなる
(戦国時代から安土桃山時代)


勝山城


主な出来事(できごと)

柴田勝家は、織田信長からの信頼しんらいも厚く、織田家の筆頭ひっとう重臣じゅうしんでした。そのため、信長の家臣の中でもっとも広い領土りょうどをあたえられていました。

しかし、 1582年、「本能寺ほんのうじへん」が起きます。これは、柴田勝家の君主である織田信長が、同じく織田家の重臣である明智光秀あけちみつひで襲撃しゅうげきされ、 信長が自害じがいする事件でした。

その後、裏切りものの明智光秀をたおしたのは、豊臣秀吉とよとみひでよしでした。 このことがきっかけで、織田信長の後継者こうけいしゃを決める「清州会議きよすかいぎ」にて豊臣秀吉とよとみひでよしが柴田勝家を抜き重臣じゅうしん筆頭ひっとうになります。

1583年、しずたけの戦い」で、柴田勝家は豊臣秀吉に負け自害することになります。 勝家が負けたのは、味方の「前田利家まえだとしいえ」の裏切うらぎりによる影響えいきょうが大きかったと言われています。

60歳で結婚する勝家

柴田勝家は、60歳で結婚しました。

結婚相手は、戦国時代で一番の美女「おいち」で、織田信長の妹でした。 お市は35歳での再婚でした。ふたりの年齢差ねんれいさはなんと25歳でした。

滋賀 賤ヶ岳古戦場