(小4,5,6年)自主学習や自主勉強のネタとノートの書き方|小学生まなび研究会

【社会】「武将」明智光秀について調べてみよう

松左衛門先生
松左衛門まつざえもん
先生

今回は、織田信長にみとめられ、出世しゅっせをして一国のあるじとなるけど、 その後、自分の上司である信長に歯向はむかってしまう人物を紹介します。

小学生のゆーちゃん
小学生の
ゆーちゃん

こわ~。何があったんだろう。

自主学習ノートの書き方(えんぴつで書いたれい)

「武将」明智光秀についての自主学習ノート

自主学習ノートの書き方(れい)

「武将」明智光秀についての自主学習ノート

「武将」明智光秀あけちみつひでについて

明智光秀は、美濃国みののくにの「斎藤道三さいとう どうさん」、越前国えちぜんのくにの「朝倉義景あさくらよしかげ」、 室町幕府将軍「足利義昭あしかが よしあき」、織田信長おだのぶながなどの武将につかえ、 特に信長の家臣になってからは、城を持つほど出世をします。

ところが光秀は、謀反むほんを起こし、信長を自害じがいに追い込みます。 その後、同じく信長の家臣であった羽柴秀吉はしばひでよしと戦い、光秀は秀吉にたおされてしまいます。


謀反むほん家臣かしん君主くんしゅにそむいて兵をおこすこと。


生まれ

美濃国みののくに土岐とき(現在の岐阜県南部)に生まれる。
1528年に生まれ、1582年で亡くなる
(戦国時代から安土桃山時代)



幼少期の明智光秀

明智光秀は生まれた時点では文献ぶんけんに登場するほど身分の高い家柄いえがらではなかったため、不明点が多い。

本能寺の変(ほんのうじのへん)

織田信長おだのぶながは、備中びちゅう(岡山県)で、毛利輝元もうり てるもとと戦っていた家臣の羽柴秀吉はしばひでよしを助けるために出陣しゅつじんします。

その途中で立ち寄った京都の本能寺で、信長の家臣であった明智光秀は、 信長をたくさんの兵でおそいました。 信長は必死の抵抗をしますが、それもかなわず自害じがいすることになります。

なぜ、明智光秀が信長をおそったかは現在でもはっきりと分かっていませんが、信長の非道ひどうな行いを止めるためや、 うらみなどのせつがあります。


山崎(やまざき)の戦い

本能寺の変が発生した次の日、羽柴秀吉はしばひでよしは明智光秀によって織田信長おだのぶながが殺されたことを知ります。

そのとき、毛利氏と戦っていた秀吉ひでよしでしたが、休戦きゅうせんし、大急ぎで京都に戻り、明智光秀の討伐とうばつに向かいます。 明智光秀は、羽柴秀吉をむかえ撃ちますが、結果は秀吉の勝利となり、光秀は命を落としてしまいます。

明智光秀ゆかりの福知山城