【社会】「武将」明智光秀について調べてみよう
今回は、織田信長に認められ、出世をして一国の主となるけど、 その後、自分の上司である信長に歯向かってしまう人物を紹介します。
こわ~。何があったんだろう。
自主学習ノートの書き方(えんぴつで書いた例)
自主学習ノートの書き方(例)
「武将」明智光秀について
明智光秀は、美濃国の「斎藤道三」、越前国の「朝倉義景」、
室町幕府将軍「足利義昭」、織田信長などの武将に仕え、
特に信長の家臣になってからは、城を持つほど出世をします。
ところが光秀は、謀反を起こし、信長を自害に追い込みます。
その後、同じく信長の家臣であった羽柴秀吉と戦い、光秀は秀吉に倒されてしまいます。
謀反:家臣が君主にそむいて兵をおこすこと。
生まれ
美濃国土岐(現在の岐阜県南部)に生まれる。
1528年に生まれ、1582年で亡くなる
(戦国時代から安土桃山時代)
幼少期の明智光秀
明智光秀は生まれた時点では文献に登場するほど身分の高い家柄ではなかったため、不明点が多い。
本能寺の変(ほんのうじのへん)
織田信長は、備中(岡山県)で、毛利輝元と戦っていた家臣の羽柴秀吉を助けるために出陣します。
その途中で立ち寄った京都の本能寺で、信長の家臣であった明智光秀は、
信長をたくさんの兵で襲いました。
信長は必死の抵抗をしますが、それもかなわず自害することになります。
なぜ、明智光秀が信長を襲ったかは現在でもはっきりと分かっていませんが、信長の非道な行いを止めるためや、
恨みなどの説があります。
山崎(やまざき)の戦い
本能寺の変が発生した次の日、羽柴秀吉は明智光秀によって織田信長が殺されたことを知ります。
そのとき、毛利氏と戦っていた秀吉でしたが、休戦し、大急ぎで京都に戻り、明智光秀の討伐に向かいます。
明智光秀は、羽柴秀吉を迎え撃ちますが、結果は秀吉の勝利となり、光秀は命を落としてしまいます。
明智光秀ゆかりの福知山城