(小4,5,6年)自主学習や自主勉強のネタとノートの書き方|小学生まなび研究会

【社会】「武将」黒田官兵衛くろだかんべえについて調べてみよう

松左衛門先生
松左衛門まつざえもん
先生

今日は、いくさのときに戦略せんりゃくを考える軍師ぐんしを紹介するよ。 戦国時代でもっと優秀ゆうしゅう軍師ぐんしのひとりだよ。

小学生のゆーちゃん
小学生の
ゆーちゃん

軍師って頭いいんだね。本を読んで勉強したのかなぁ。

自主学習ノートの書き方(えんぴつで書いたれい)

「武将」黒田官兵衛(くろだかんべえ)についての自主学習ノート

自主学習ノートの書き方(れい)

自主勉強ネタ-「武将」黒田官兵衛について調べてみよう

「武将」黒田官兵衛くろだかんべえについて

黒田官兵衛とは、織田信長おだのぶなが豊臣秀吉とよとみひでよしつかえていた軍師ぐんし。特に豊臣秀吉に仕えていた時代には、秀吉が天下統一するまでを支えた人物。 しかしその後、優秀ゆうしゅうすぎることがあだとなり、秀吉から警戒けいかいされた。

※軍師とは、いくさ指揮しきをとる君主くんしゅ戦略せんりゃく助言じょげんをする重要な役職やくしょくの者


黒田官兵衛ゆかりの姫路城

生まれ

播磨はりま(現在の兵庫県)に生まれる。
1546年に生まれ、1604年でくなる
(戦国時代から安土桃山時代)

黒田家の家紋


幼少期の黒田官兵衛

幼少期の名前は万吉まんきち。若くして母親をくす。 文学などの書物をたくさん読んだと言われている。

備中高松城びっちゅうたかまつじょうの戦い

1582年、羽柴はしば豊臣とよとみ秀吉ひでよしは、毛利軍の難攻不落なんこうふらくと言われた備中高松城びっちゅうたかまつじょうめました。

そのさい軍師ぐんしである黒田官兵衛の助言じょげんにて、「水攻みずぜめ」をおこないました。 大量の水を城の周りに引き入れて城を孤立こりつさせる作戦でした。この作戦により、秀吉軍は有利ゆうりに戦いを進めました。


本能寺の変

「備中高松城の戦い」のとき、羽柴秀吉は、君主である織田信長が明智光秀の裏切うらぎりにより自害じがいした報告ほうこくを受けます。

これを知った軍師の黒田官兵衛は、秀吉に少しでも早く毛利もうりとの戦いを中止し、明智光秀をたおしに行くように助言じょげんをします。

その後、秀吉軍はだれよりも早く裏切うらぎり者の明智光秀をたおし、このことがきっかけで秀吉が天下統一をげることができました。

黒田官兵衛の像(右側)