【社会:6年】黒船の来航と開国について
先生!神奈川県の浦賀に行ってみたい
どうした?海に行きたいの?
そう!ペリーがやってきた海を見てみたい!!
いいね!先生の車で行こう!
ノートの書き方(例)
イギリスの産業革命
18世紀になると、イギリスでは「産業革命」が起きます。これにより機械を利用する新しい技術が発展し、社会に変化をもたらしました。その後、ヨーロッパの国々は、アジアの国々と貿易をおこなったり、植民地支配を進めたりしました。
外国船に対する日本の対応
1800年ころになると、日本は外国から開国を求められるようになります。 これに対し幕府は応じず、逆に外国船を追い払おうとします。
1853年 ペリーの来航
アメリカからペリーが浦賀にやってきます。また、次の年もペリーは日本にやってくると、ついに日本の幕府は開国し、日米和親条約を結びます。
日米和親条約で日本は、静岡県の下田と北海道の函館の港を開き、アメリカの船に食べ物や船の燃料をあたえることになります。
1858年 日米修好通商条約
アメリカの総領事ハリスと井伊直弼は、日米修好通商条約を結びます。
この条約は日本にとって不平等な条約でした。内容は、横浜や神戸など5つの港を開き貿易をする。日本は輸入品に税金を決められない。外国人が罪を犯しても日本はなにもできないなどでした。
開国後の日本
開国についてよく思わない日本人は多く、国内では反発がおきました。そのため、条約を結んだ井伊直弼は、反対する者たちからうらまれ、殺されることになります。これが、桜田門外の変(の)です。