覚えておきたい人物「野口英世」について
今日は日本を代表する医師であり細菌学者の人を学ぶぞ。ゆーちゃん、だれか分かるかな?
ん?まず、細菌学ってなに?
ズコ!細菌とは、目に見えないくらい小さい小さい生物だよ。
へー。目に見えないくらい小さいなら、私の方が強いね!
そうでもないんだな。体の中に入るとやっかいな細菌もたくさんあるんだよ。
ノートの書き方(例)
野口英世のここがすごい
①小さいときにやけどをしたにも関わらず、たくさん勉強をして医者・研究者になった。
②世界的に有名なロックフェラー研究所で、最先端の研究を行った。
③たくさんの国から名誉ある賞を受賞。何度もノーベル賞の候補になる。
④日本の千円札に肖像画が採用されている。
生い立ち
野口英世は1876年に福島県で生まれました。1歳の時に自宅の囲炉裏でやけどをしてしまい、左手の指が不自由になってしまいます。
小学校に入学した英世は勉学に力を入れ、学校では優秀な成績を収めました。そして、先生の計らいでさらに上の学校に進学します。
また、英世の家は貧しかったため、不自由になった左手を治療することができませんでした。しかし、先生たちが手の手術をするためのお金を集め、そのおかげで英世は手術を行うことができました。
手術は会津若松にある病院で行われました。見事に成功し、不自由だった左手は動くようになります。
英世は手術の費用を集めてくれた先生方に感謝をすると共に医者の仕事のすばらしさを感じ、医学の道を志すようになります。
いろり
医者・研究者を目指した野口英世
英世は自分の左手を手術してくれた、医師 渡部のところで働きながら医学について学んで行きます。その後、東京に移り、医師の免許を取得し、伝染病研究所で働きはじめます。
研究に没頭した英世は成果が認められ、やがてアメリカのロックフェラー医学研究所で働くことになります。ここでも、多くの研究成果を出し、ノーベル賞の候補者にまでなりました。
その後英世は、これまでワクチンがなかった伝染病の黄熱病の研究を始めます。英世自身もアフリカに行き、現地で研究を行いました。しかし、自らも黄熱病を発症し、亡くなってしまいます。