覚えておきたい人物「板垣退助」について
ゆーちゃん、今日は板垣退助について学ぶぞ。名前くらいは聞いたことがあるかな?
ん〜。まったく知りません。
ズコ。国民の自由を主張した人だよ。
昔はあまり自由じゃなかったの?
ま〜。そういう時代があって、今があるんだよね。
ノートの書き方(例)
生まれ
板垣退助は、1837年土佐藩(現在の高知県)の武士の息子として生まれました。
高知県にある板垣退助の像
政治活動の始まり
1868年、戊辰戦争のときに土佐藩士として新政府軍に参加し、旧幕府軍との戦いで活躍しました。そして、明治政府の中心的な存在になります。
しかし、明治政府内で朝鮮を攻める話合いが行われていた際に政府の決定内容に反対します。このことが原因で、板垣は政府をやめ、一部の権力者が政治を取り仕切っているやり方を変えていこうと決意します。
自由民権運動のはじまり
1874年、国民の意見が政治に伝わるように国会を作るべきだと言う意見書を提出します。このことが国会の開設をもとめる「自由民権運動」のはじまりとなりました。
この自由民権運動は全国に広まります。政府は必死で押さえこもうとしますが、結局国民の意見を受け入れ、10年後に国会を開くことを約束します。
自由党の立ち上げ
その後、板垣は日本初の政党である自由党を立ち上げます。そして自由党を広めるために全国で演説を開始します。
板垣はある時、演説中に襲われてしまいます。そこで、傷を負った板垣は「板垣死すとも自由は死せず」と叫びました。この事は有名になり、自由民権運動はますます盛んになっていきました。