覚えておきたい人物「新渡戸稲造」について
ゆーちゃん、今日は昔の五千円札の肖像画に使われていた人を勉強するよ。
誰だろう??えらい人だよね〜。そうだ!先生、その五千円札ちょうだい。そしたら思い出すかも。
絶対やだ。
ノートの書き方(例)
生い立ち
1862年、新渡戸稲造は南部藩(現在の岩手県)で生まれました。
稲造は、13歳のとき東京にある東京外国語学校に通い英語の勉強をしました。その後、16歳からは北海道の札幌農学校で農業について学び、農学校を卒業後は東京帝国大学(今の東京大学)に入学します。
さらに、日本を飛び出し、アメリカやヨーロッパの大学でも勉強を続けます。
新渡戸稲造の像
本の出版
稲造は、日本に帰国後、札幌農学校の先生として働きます。これまで学んできたことを学生に教えるため、色々な科目を担当しました。その時にまとめた本が「農業本論」です。
また、アメリカ在住時には「武士道」を出版しました。特にこの本は日本人の美徳や精神などを書いた本で、世界的に売れ、日本人の教えや考えを世界に広めるきっかけになりました。
教育者としての活動
新渡戸稲造は教育者でもありました。学校の校長や大学の学長などを務め、これまでの日本の教育を変えるために力を尽くしました。
国際的な人物としての活動
新渡戸稲造は欧米との交流も積極的に行いました。アメリカで滞在中に、日本文化を広める機会も得ました。
また、1920年には国際連盟の事務次長を務めました。国際連盟とは、世界平和を目的とした組織でたくさんの国が参加していました。