(小4,5,6年)自主学習や自主勉強のネタとノートの書き方|小学生まなび研究会

覚えておきたい人物「津田梅子つだうめこ」について

松左衛門先生
松左衛門まつざえもん
先生

今日は津田梅子つだうめこについて勉強するぞ。ゆーちゃんは名前くらいは知っているかな?

小学生のゆーちゃん
小学生の
ゆーちゃん

知っているよ。8さいでアメリカに行って、津田塾大学つだじゅくだいがくをつくった人でしょ。

松左衛門先生
松左衛門まつざえもん
先生

そうそう。正解せいかい!すごいじゃないか。

小学生のゆーちゃん
小学生の
ゆーちゃん

これくらいは、知ってて当然とうぜんでしょ!

松左衛門先生
松左衛門まつざえもん
先生

今日は、やけに強気つよきだね。

ノートの書き方(例)

覚えておきたい人物「津田梅子」

生まれ

津田梅子つだうめこは、1864年に東京で生まれました。父親は津田仙つだせんという有名な学者がくしゃでした。

津田梅子

8歳でアメリカへ

1871年、岩倉具視いわくらともみを中心としたアメリカへの使節団しせつだん結成けっせいされます。父親のすすめで、梅子は8さいの時にその一員いちいんとしてアメリカに留学りゅうがくします。

梅子は、初めはほとんど英語えいごを話すことはできませんでしたが、努力をしてアメリカの小学校を卒業そつぎょうします。その後、さらに進学しんがくをし、多くのことを学んでいきます。

津田梅子

日本に帰国し、再びアメリカへ

梅子が日本に帰国きこくしたのは、1882年で17さいの時でした。帰国後きこくご、梅子は女学校じょがっこうにて英語の先生として仕事を始めます。

1889年、梅子はふたたびアメリカにわたります。アメリカでは、大学にかよ生物せいぶつについて学びます。在学中ざいがくちゅうは、カエルについて研究けんきゅうをし、論文ろんぶんも発表しました。

教育者として

1892年、梅子は日本にもどり、ふたたび先生としてはたらきます。

その後、自ら学校を作ることを考え、1900年に「女子英学塾じょうしえいがくじゅく」を設立せつりつし、女子の教育に力を入れます。開校当時かいこうとうじは10名のみで、運営うんえいも大変でした。

しかし、多くの人の助けもあり、数々の困難こんなんを乗りこえて現在の「津田塾大学つだじゅくだいがく」となりました。

津田梅子

津田塾大学


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