【おぼえておきたい人物】「大久保利通」について
ゆーちゃん、今日は「大久保利通」について勉強するよ。
聞いたことない人だねぇ・・・。何をした人?
明治政府の中心人物の一人で、いろいろな改革を行ったんだよ。「廃藩置県」では、これまであった「藩」を廃止して、「県」を作ったんだ。
え?愛知県とか、福岡県の「県」をつくったの!?すご!
ノートの書き方(例)
大久保利通について
大久保利通(1830年 - 1878年)は、日本の明治時代に活躍した政治家で、明治維新の中心人物の一人です。
鹿児島市にある大久保利通の像
出身
大久保利通は、薩摩藩(現在の鹿児島県)に生まれ、武士の家に育ちました。
若い頃から学問に励み、薩摩藩主である島津斉彬や島津久光のもとで政治に関わりながら経験を積みました。その後、西郷隆盛と共に倒幕運動に取り組みました。
どんなことをしたか
明治政府の中心人物として
大久保利通は、明治政府の中心人物の一人として様々な改革を行いました。1869年には、「版籍奉還」を行いました。これは、天皇を中心とする政治体制を作るため、大名が持つ土地や人民を朝廷に返すというものでした。
また、1871年には「廃藩置県」を行い、藩を廃止して県を設置することで、中央集権体制を確立しました。これにより、政府が日本全国を直接管理するようになりました。
鹿児島市にある大久保利通の像
欧米訪問と近代化への取り組み
1871年、大久保は木戸孝允、岩倉具視、伊藤博文らと共に欧米諸国を訪問し、進んだ技術や制度を学びました。
その後、大久保らは外国の優れた制度を国内に取り入れ、近代化を進めるきっかけを作りました。
西郷隆盛らとの対立
明治政府内では、西郷隆盛を中心として朝鮮侵略を目指す「征韓論」について議論が起こりました。
大久保は、内政の安定を優先するために征韓論に反対し、結果として彼の意見が政府内で採用されました。これにより、西郷隆盛は政府を去ることとなります。