【おぼえておきたい人物】「大隈重信」について
ゆーちゃん、今日は早稲田大学を作った人を勉強するよ。
あの有名な大学!!きっとすごい人だよね。
二度、内閣総理大臣をしています。
すご!すごすぎます・・・。わたしでは勝てない・・・。
え!?勝つつもりだったの!!!???
ノートの書き方(例)
大隈重信について
大隈重信(1838年 - 1922年)は、日本で初めて政党内閣を作った政治家であり、早稲田大学の創設者としても知られています。
大隈重信の像
出身
大隈重信は佐賀藩(現在の佐賀県)に生まれました。若い頃から英語や外国の法律など、ヨーロッパの学問を学びました。
その後、尊王攘夷運動に参加し、幕末から明治維新にかけて活躍しました。
どんなことをしたか
立憲改進党をつくる
明治時代初期、国民の意見を政治に反映させることを目指した自由民権運動が広がる中で、大隈は「立憲改進党」を結成しました。
この党は国民の権利を重視し、政治への国民参加を進めることを目指しました。
早稲田大学の設立
1882年、大隈は政治や経済の教育を中心とした「東京専門学校」を設立しました。この学校は後に早稲田大学となり、現在でも日本を代表する大学の一つとして広く知られています。
早稲田大学にある大隈講堂
二度の内閣総理大臣就任
大隈重信は、1898年と1914年に二度内閣総理大臣を務めました。
1898年には板垣退助とともに「憲政党」を結成し、日本初の政党内閣を誕生させました。二度目の内閣では、第一次世界大戦中の国政を担いました。