【おぼえておきたい人物】「陸奥宗光」について
ゆーちゃん、今日は「陸奥宗光」について勉強するよ。
何をした人ですか??
日本のために、外国と交渉をした人ですよ。
外国の人と話をしたってこと??私でもできそうだけどなぁ。「ハロー」なんてね。
「ハロー」だけじゃダメでしょ。交渉なんだから、頭がよくないと。
あっ!先生、怒った。はぁ。やっぱり勉強して、頭がよくないとダメなんだね。頑張るか!!
ノートの書き方(例)
陸奥宗光について
陸奥宗光(1844年 - 1897年)は、明治時代の日本の政治家で、特に他国との外交政策(外国との話し合い)において重要な役割を果たしました。
陸奥宗光の像
出身
陸奥宗光は、和歌山藩(現在の和歌山県)に生まれ、武士の家に育ちました。
学問に熱心で、若い頃から政治に関心を持ち、幕末には坂本龍馬と知り合い、海援隊に入り活動しました。
どんなことをしたか
外務大臣として
明治時代、日本は江戸幕府が結んだ不平等な条約により、外国人が日本で罪を犯しても日本の法律で裁くことができませんでした。
陸奥宗光は明治政府の外務大臣としてこの不平等な条約の改正(条約の変更)に取り組み、1894年にイギリスとの間で条約の改正を実現しました。この成果は、日本が世界で認められる大きな一歩となりました。
日清戦争とその後
1894年、日本と清(中国)の間で朝鮮半島をめぐる日清戦争がおこりました。この戦争で日本は清に勝利し、下関条約を結びます。
陸奥宗光はこの条約の交渉でも力を発揮し、日本に有利な条件を引き出しました。
下関条約が話し合われた、「日清講和記念館」