【おぼえておきたい人物】「小村寿太郎」について
先生!海外から物を買うと税金がかかるの?
そう。「関税」というんだよ。購入する物や金額にもよるけど、輸入した人が支払う必要があるんだ。外国から安い商品が大量に輸入されると、日本国内の会社が衰退することがあり、それを守る目的もあるんだよ。
へー。勉強になったワン!
ちゃんと聞いてたの??
ノートの書き方(例)
小村寿太郎について
小村寿太郎(1855年 - 1911年)は、日本の外交官・政治家であり、特に日露戦争後の日本の国際的な地位を確立するために重要な役割を果たしました。
小村寿太郎の像
出身
小村寿太郎は1855年、飫肥藩(現在の宮崎県)で生まれました。16歳で東京の大学南校(現在の東京大学)に進学し、その後アメリカに留学して法律を学びました。
帰国後は外交官としての道を進み、アメリカ、ロシア、清(現在の中国)などで勤務しました。
どんなことをしたか
外務大臣としての活躍
小村寿太郎は、1902年にロシアの朝鮮半島進出を抑えるため、当時強国であったイギリスとの間に「日英同盟」を結びました。
日露戦争後、小村はアメリカのポーツマスで行われた講和会議に日本代表として参加し、ロシアとの間で「ポーツマス条約」を結びました。この条約により、日本はロシアが支配していた中国の鉄道と土地の権利などを手に入れます。
不平等条約の改正
1858年の日米修好通商条約以来、日本は輸入品に自由に関税(輸入品にかける税金)をかける権利を失っていました。
1911年、小村はアメリカとの交渉によりこの権利を回復しました。これを「関税自主権の回復」といい、このことにより不平等条約が大きく改善され、日本は欧米の国々とほぼ対等な関係となりました。