【おぼえておきたい人物】「杉田玄白」について

先生
ゆーちゃん。今日は杉田玄白を勉強するよ!玄白は外国の医学書を、日本語に翻訳した人なんだよ!(翻訳とは、外国語を日本語になおすこと)

ゆーちゃん
え!それだけ??本屋さんに行って、外国語の辞典を買ってくればできるんじゃないの??

先生
江戸時代に、外国語の辞典を売っている本屋さんはないでしょ!!外国語に詳しい人もたくさんいるわけではないし。先生は、翻訳するのは大変だったと思うよ。

ゆーちゃん
そっか。外国語をあまり知っている人がいない時代に、知らない国の言葉を日本語にするのは大変だね。そう考えると、すごい人だね!!

先生
わかってくれたか・・・。
ノートの書き方(例)
杉田玄白について
杉田玄白(1733年 - 1817年)は、江戸時代の日本の医師、学者で、特に解体新書の翻訳で有名な人物です。
栄閑院にある杉田玄白の墓(東京都港区虎ノ門)
生い立ち
杉田玄白は、1733年に若狭小浜藩(現在の福井県)で生まれました。医師の家に生まれ、若い頃から医学に興味を持ち、学問に励みました。
どんなことをしたか
解体新書の翻訳
玄白は、1771年にオランダ語で書かれた「ターヘル・アナトミア」という本と出会いました。この本は、人体について詳しく、かつ正確に書かれていました。
玄白は、前野良沢とともにこの本を日本語に翻訳し、「解体新書」という名で出版しました。この翻訳は、日本の医学において画期的な出来事であり、西洋の解剖学を日本に紹介する重要な役割を果たしました。
翻訳のイメージ
影響
玄白は、「解体新書」の翻訳を通じて、日本に西洋医学を広めただけでなく、蘭学(オランダ語を通じて伝わったヨーロッパの学問や技術)の普及にも大きく貢献しました。このことによって、科学技術の理解が進み、日本の近代化に向けた土台が築かれることとなりました。
